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光秀が生まれてから落城するまでの30年を過ごした城とされる城跡
別 名:長山城、明智長山城
主な城主:土岐氏、明智氏
築城年:康永元年(1342年)
廃城年:弘治2年(1556)
土岐明智氏の出自の地であり、明智光秀を生んだ地との伝承を持つ。
『美濃国諸旧記』には、康永元年(1342)、「長山」に土岐頼兼が城を築き、弘治2年(1556)に明智光秀の叔父光安・光久が城主であった時、稲葉山城主斎藤義龍の攻撃を受けて落城したとする。現在は、地域団体の手により散策路が整備されハイキングコースとしても楽しむことができる。